139号墓から出土した大刀

銀装円頭大刀・木装長刀・鹿角装鉄剣

考古学では、両刃の武器を剣、片端の武器を大刀と呼んでいます。

銀装円頭大刀ぎんそうえんとうたち

【 構造 】
全長約85cm(一部欠損)
 柄頭つかがしら柄間つかあい巻金具・把縁つかぶち鞘口さやくち鞘尻さやじり金具を銀で装飾しています(鉄地銀張)。 鞘は木製の本体に黒漆塗りで装飾しています。柄間は鮫皮さめがわを用いた「鮫皮巻」としています(鮫皮と呼ばれるが生物としてはエイの皮です)。
柄頭には花形の鳩目金具、柄間に花形の俵鋲を打ち、銀製柄頭の縁金具・鳩目金具、柄頭縁金具、柄間巻金具には金工細工による打ち出し文様があります。
【 評価 】
 6世紀前葉の銀装円頭大刀は、その形態・技術などから朝鮮半島製と考えられるものです。とくに百済(ないし加耶西部)製である可能性が高いものです。
 柄間に用いられた「鮫皮巻」は、日本出土品では最古のものです。ルーツは中国とみられ、漢代には存在して いました。東アジアのなかでも実物で確認できる最古の例です。東アジアの広域交流で運ばれた ものとみてよいでしょう(鮫皮巻はA.D.1世紀の楽浪漢墓の石巌里9号墳、6世紀代の高句麗のものとみられる平壌兵器廠出 土品などで出土記録がありますが現物は確認できません)。
 他の現存例には正倉院宝物や、聖武天皇の遺品の可能性が高い東大寺金堂(大仏殿)鎮壇具ちんだんぐの中にあり、古代 では高位の人物の身分表象として佩用されたものとみなされます。
 また、島内139号地下式横穴墓とまったく同型式の銀装円頭大刀は同時期の近畿中央部でも出土していません。 そのため、この大刀は島内139号地下式横穴墓の被葬者が、ヤマト政権からではなく、朝鮮半島にかかわる活動 のなかで直接入手した朝鮮半島製(とくに百済製)可能性が考えられます。
 なお、本資料とは別型式ですが同時期の奈良県星塚2号墳から円頭大刀が出土しています。この古墳では他に 土器など百済と関係する遺物が出土しており、6世紀前葉の円頭大刀が百済との関係を表すものであることを明 らかにしています。

木装長刀もくそうちょうとう

【 構造 】
現存長142cm、装具を入れた全長150cm程度に復原される非常に長大な大刀。
 鞘口に高級織物の経錦たてにしきを巻いています。柄頭は木製の「楔形柄頭くさびがたつかがしら」ですが、 木製の装具は遺存しにくいため一般的な古墳での出土例は少ないものです。鞘には樹皮が巻かれています。柄頭は赤彩しており、鞘には副葬時に赤色顔料 を塗布しています。
【 評価 】
 現存する古墳出土刀剣では、日本全国で最長です。とくに6世紀代は全国 的に有力首長墳で、長い大刀の出土が多いことから、大刀の長さは所有者の 権威を表すものと考えられています。長刀としてよく知られる奈良県藤ノ木 古墳の大刀でも136.5cmで、本資料はそれより15cm近くも長いものです。
 鞘口に巻く経錦は朝鮮半島からの舶載かヤマト政権下での生産が想定され る高級織物です。同時期、6世紀前半の古墳出土品では全国で他に4 例ほどし か確認されていない稀少品で、刀装具に用いた例は初めての発見です。
 柄頭の形式は近畿を中心に全国的に共通性の高いもので、そのため近畿中 央かその影響下で生産されたものと考えられます。
 この別格の長大さと経錦を使用した貴重性を備えた島内139号地下式横穴 墓の大刀はヤマト政権のもとで製作された特別な大刀と考えられるでしょう。 ヤマト政権の象徴として、当時の大王・継体大王からの下賜などを想定すべ きものです。

鹿角装鉄剣ろっかくそうてっけん

【 構造 】
  現存長93.5cm、鉄剣全長87.5cm。
 柄頭・把縁・鞘口・鞘尻を鹿の角で作っ た鉄剣です。鞘には組紐を巻いています。 さらに鞘口付近と鋒付近を中心に大量の平 絹が付着していました。
 把縁と鞘口には直弧文という彫刻文様が あります。また鹿角装には朱とみられる赤 色顔料が付着しています。
 鉄剣としてはとくに長大で、ヤマト政権 からの配布品とみられます。5世紀後半~6 世紀前半に位置づけられますが、2本の大 刀よりも古相の副葬品の可能性があります。

【 大刀の評価 】

 島内139号地下式横穴墓の被葬者の活動期を表す副葬品には 、5世紀末~6世紀前半 の時期幅の中で、新古二相あり、 新相は6世紀前葉=継体朝(継体大王の時期)に相当 します。この時期の倭は百済をはじめ朝鮮半島諸勢力との関係を強くもっていました。
 1号被葬者の左側に並べられた2本の大刀、銀装円頭大刀と木装長刀は、いずれも新 相の6世紀前葉・継体朝の特別な意味をもつ大刀だと考えられます。
 これまでの研究で、倭風大刀は倭国内の身分表象を、朝鮮半島系装飾大刀は国際関係 における身分表象を表したと指摘されています。このことからみると2 本の大刀は保有 者である被葬者が、継体朝のヤマト政権の大王近くで活躍し、また朝鮮半島情勢にも関 わって、対外的に活躍するような人物であったことを象徴するものでしょう。
 島内139号地下式横穴墓は、集団墓群の中の1 つの墓であり、前方後円墳などの大型 墳墓ではありません。在地での権力が突出していたわけではなく、おそらく軍事を中 心とする実際の活動が評価されてこれらのすぐれた大刀を手に入れることができたのでしょう。
 継体朝の[中央と地方の関係]、[地方と朝鮮半島情勢との関係]といった日本古代の 政治関係を読み解く上でとても重要な資料といえるものです。

鹿児島大学総合研究博物館 橋本達也教授 講演会より
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