胡簶(やなぐい・ころく)とは矢を入れて携帯するための道具のことです。筒形のものと幅広の平面的な
ものがあり、平らなものを平胡簶と呼んでいます。
2014年度の島内139号墓の発掘調査では、羨道からみて玄室の右側奥、1号被葬者の右足もとで矢を入れ
る武具の平胡簶が出土しました。そして2016年度に科学分析・保存処理を行っています。
この平胡簶は玄室奥側に底板があり、その手前から収納されていた矢の鉄鏃(矢じり)が47本出土しまし
た。そして、1号被葬者に沿って背板部の枠材が確認され、さらに手前側では黒漆を塗った矢羽根周辺部が
見つかっています。
平胡簶の底板は木製です。前面には金銅板(銅に金メッキした板)、背面には鉄板の金具をつけています。
この両金具には、毛のない革を金具から下の底部に、獣毛付の皮を金具から上に出るように挟んでいます。
また金銅板の縁を飾るための繊維も挟んでいます。
表面の金銅板は銀の薄板を被せた鉄製鋲で、背面の鉄板は鉄製の鋲で留められています。
底板は横幅33.4cm、前後幅3.6cm、高さ2cmです。また矢の長さは約80cm、背板枠材はそれより少し低い
とみられます。
枠材は厚みのある木材で、底板とは直接結合していません。そのため、皮を介して結合したと考えています。
また鉄鏃の付近には平絹とみられる繊維があり、緒(ひも)などであろうと考えられます。
この平胡簶は、古墳時代後期前葉( 6 世紀前葉=
継体朝
)に出現した新たなヤマト政権の政治関係を象徴する器物と考えられるものです。
これまで全国から約40例確認されていますが、それらは金具とそれに付着して残存する皮革や木質から、復元案
が考えられてきました。島内139 号墓出土品では金具とともに、それを付設した状態の底板、胡簶本体を構成する毛皮の一部、織物による装飾などが良好に遺存しています。
そのため、これまで未解明であったこの武具の構造をおおむね明らかにすることができます。
平胡簶の類例は、奈良時代の正倉院宝物、平安時代前半の春日大社宝物などがあり、平安時代までは存続して
いたことが知られています。島内139号墓出土品はこの形式の出現期資料であり、かつこれらの宝物への系譜的
連続性を検討しうる古墳時代で唯一の実物資料です。
地名 | 古墳名 | 鉄地金銅張製金具 | 鉄製 金具 | 鉄鏃編年 (段階) | 須恵器編年 (段階) | ||||
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両端 傾斜 | 鋲列 | 文様 | 長さ | 木材 | |||||
福島 | 餓鬼堂27号横穴 | ||||||||
栃木 | 星の宮古墳 | 〇 | 2 | 波状列点文 | 残存長27㎝ | 〇 | × | 後期2 | 出土せず |
千葉 | 山王山 | 〇 | 2 | 波状列点文 | 残存長30.4㎝ | 〇 | 〇 | 後期1 | 出土せず |
京都 | 女谷B支群18号横穴 | 〇 | 2 | 波状列点文 | 残存長37㎝ | × | 〇 | 後期3 | 飛鳥Ⅰ新相 |
京都 | 柿谷1主体部 | 〇 | 2 | 点列 | 残存長34㎝ | 〇 | 〇 | 後期2 | TK10 新-TK43 |
京都 | 黒土1号 | 〇 | 3 | 波状列点文 | 残存長13.2㎝ | × | 〇 | 後期2 | TK43 |
奈良 | 珠城山1号 | 〇 | 2 | 波状列点文 | 残存長41㎝ | × | 〇 | 後期1 | TK10 新 |
奈良 | 巨勢山ミノ山2号東棺 | 〇 | 2 | 菱形文 | 全長31㎝ | 〇 | 〇 | ? | TK43-209 |
奈良 | 巨勢山ミノ山13号西棺 | 〇 | 2 | ? | 全長33㎝ | ? | 〇 | ? | ? |
奈良 | 笛吹3号 | ? | 2 | ? | ? | ? | 〇 | ? | ? |
奈良 | 笛吹17号 | ? | 2 | ? | ? | ? | 〇 | ? | ? |
奈良 | 沼山 | 〇 | 2 | なし | 残存長33㎝ | ― | 〇 | 後期 1 | TK10 新 |
大阪 | 牛石7号(高塚山) | ― | 2 | なし | 残存長22㎝ | ― | × | 後期 1 | TK10 新 |
岡山 | 西山3号 | 〇 | 2 | なし | 残存長19.2㎝ | × | × | 後期 1 | TK10 新-TK43 |
福岡 | 桑原石ヶ元7号 | 〇 | 3 | なし | 残存長13.2㎝ | 〇 | × | 後期 1-2 | TK43 |
熊本 | 上高橋堂園遺跡 | 〇 | 3 | なし(鉄製) | TK43 | ||||
宮崎 | 島内139号地下式 | 〇 | 2 | 波状列点文 | 全長33.4㎝ | 〇 | 〇 | 後期1 |