加久藤盆地の成り立ち

180万年前日本列島が隆起する 10万年前日本列島の原型ができる

はじめに、加久藤盆地は北に九州山地、南を霧島火山群に囲まれた、東西約15km、南北5kmの狭長な盆地です。 盆地の中央を流れる川内川は宮崎県内で唯一、鹿児島方面へ流れる川です。
34万年前加久藤カルデラ 主として火砕流
15万年前古期火山群(矢岳、栗野岳、獅子戸岳、烏帽子岳、湯之谷岳)が誕生する
6~7万年前新期火山群(白鳥山、蝦野岳、大浪池、大幡山、夷守岳、丸岡山、二子石山)が誕生する
3万年前姶良火山が爆発し、入戸火砕流(シラス)が寄せて来て盆地を埋める。その上には姶良丹沢火山灰(AT火山灰)が降下する
2万年前韓国岳・甑岳・新燃岳・中岳・飯盛山・六観音御池火山・白紫池火山・不動池火山が誕生する
盆地内には粘土やシラス混じりの粘土、火山灰などが、10~20mも堆積する
湖水面が上がり西(吉松町側)が欠壊する
湖水面が下がり、砂礫層が形成される(土石流)
河川の下刻に従って
1万8千年前高位段丘面の形成 白鳥・岡元・苧畑地区
中位段丘面の形成 灰塚・田代地区
1万5千年前低位段丘面の形成 島内・大溝原・上江地区
残り盆地中央部が氾濫原で現在の地形の原型が出来た
1万6千年前小林ボラ
1万年前古高千穂、高千穂峰の誕生
7300年前鬼界火山の爆発により、アカホヤ火山灰が40cm程度降り積もり、動植物は死滅状態になる
10~15cmの火山灰が積もる  腐植に富み、真黒である
西暦1年頃15~20cmの火山灰が積もる  腐植に富み、真黒である
西暦1478年桜島噴火「文明ボラ」
西暦1716年新燃岳噴火

南九州北部の火山活動 260万年前以降

 760万年前以降南九州北部では火山活動が活発になり、えびの地域では加久藤盆地の北と西の山の下部および八幡丘に約260万前(後期鮮新世)の火山岩類が分布しています。 この火山岩類は輝石安山岩の溶岩、火砕岩、火山礫の凝灰岩、火山円礫岩、凝灰質のシルト岩など多様です。真幸付近では、マグマが冷えてできた鉄や金を含む熱水が火山岩類 のなかに入り込み、変朽安山岩とともに金や赤鉄鉱の鉱床を生成しました。赤鉄鉱の産出量は多くなかったようですが、薩摩藩が幕末に使用したとの言い伝えがあります。  盆地の北と西の山には約180万~60万年前(後期更新世)の輝石安山岩や角閃石デイサイトの溶岩が分布しています。矢岳高原には流紋岩も見られます。 加久藤盆地の底部には約260万年前の火山岩類が存在していると考えられます。

加久藤カルデラの形成 約34万年前

 約34万年前、現在の加久藤盆地の位置で破局的大噴火が起こり、大量の火砕流(加久藤火砕流と命名)と火山灰を放出しました。 この時できた凹地は加久藤カルデラと命名されました。火砕流は南九州を覆い、火山灰は関東地域まで到達しています。火砕流が厚く堆積した場所では、 高温の状態が長く続き火砕流堆積物は溶融し、冷却して溶結凝灰岩ようけつぎょうかいがんを形成しました。 溶結凝灰岩ようけつぎょうかいがんは硬く、都城の『関の尾滝』、小林の『三宮峡』、須木の『ままこ滝』、大口の『曽木の滝』、 えびの市の『毘沙門の滝』や『狗留孫峡』など滝や峡谷などの美しい景観を作り出しています。この時、南側にある霧島連山は存在していなくて、火砕流は鹿児島市内まで到達し、 溶結凝灰岩ようけつぎょうかいがんを形成し、鹿児島市内にあった『西田橋』にも利用されています。 えびの市内では『眼鏡橋』、『太鼓橋』の石材のほか、田の神などの材料としても活用されています。

『えびの学』資料より:講師 白池 図氏

韓国岳

新燃岳

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